『かすり』(絣・飛白)

— 模様がところどころにおいて“かすった”ように織られた染め文様、もしくはそのような文様を持つ織物。

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意匠家(デザイナー)がデザインの元になる絵を描く。

染め屋さんはその絵を元に、縦糸・横糸の どの部分を染めて どの部分を染めないかを綿密に計算し、部分的に染めない部分をつくりながら糸を染めていく。

何種類、何十種類の縦糸に、また何種類、何十種類の横糸を通して織り込み、一枚の布がかたち造られ、意匠が出来上がっていく。

意匠家は“かすりがでないように”意匠を考える。
というよりも、意匠を考える時点で“かすり”は計算できないもの。

でも、糸を染めたり、機織機で織ったりする過程で、どうしても“かすり”は出てしまう。

もしかしたら意匠家にはその“かすり”が不本意なモノかもしれない。
それでも、その織物の模様にできた不規則なかすれが“味”となり、人々を魅了し、その手法、そして製品の名前までもが『かすり』となった。

映像も音楽もグラフィックデザインも、ひとつひとつの素材を制作し、スタジオやPCで合成・編集し、それぞれの素材の色や大きさやバランス等を丁寧に調整し、なるべく劣化しないように、最終データへと完成させていく。
それが、TVで放送されたり、DVDやCDといったメディアになったり、紙に印刷されたりして、ユーザーの手元へと届けられる。
イベントだって、本番直前まで何度も何度も調整を繰り返し、納得のいくまでリハーサルを重ねて「もうこれで間違いない!」という状態で客入れを迎える。

でも僕は、ココで“完成”だとは考えない。

世の中には様々な映像の観方がある。
真っ暗な映画館の中、とても大きなスクリーンで観る映像。
蛍光灯の部屋の中、最新の液晶テレビで観る映像。
昼過ぎのカフェで、ケータイ電話で観る映像。
音楽だって、高価なステレオで聴く事もあれば、iPodで聴く事もある。
グラフィックデザインだって、
美術館のように額装されて最高の照明の下、単体で観る事もあれば、
本屋さんにあるたくさんの本の中のたった1冊の本の表紙のように観る事もある。
イベントはさらにわかりやすく、
客層の雰囲気や空気感、ともすれば当日の天候なんかも関係して、本番は様々な表情を見せ、それによってそのイベントは同じ内容でも、面白くもなり、つまらなくもなる。

創り手の想いや意志が届くのは、その作品がカタチになる瞬間まで。
そこから先は受け取り手によって色々なカタチへと姿を変える。

クリエイターが創り上げたモノに、別の人やユーザーの手が加わる事で、それは思いもよらない変化を遂げる。

そんな“かすり”のような計算のできない「モノ創りののりしろ」が実におもしろい。

そんな面白さに魅せられて、
そんな面白い事が仕事にできた事を本当に幸せに思う。
こんな面白い事、死ぬまでやめない!

作品に「完成品」なんてない。
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by wamhouse | 2009-03-13 02:03 | 想 : column

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