コミュニケーションデザインという呼称ができるはるか前、
大学の研究課程で、実は地域活性を兼ねたコミュニケーションデザインを
すでにやっていた事を思い出しました。

それはもう10年以上前。
夏休み、学生たちから希望者を募って、島根県の石見銀山に行きました。
当時はまだ世界遺産には登録さてておらず、過疎の町でしたが、
そこに滋賀県の芸大生20名くらいを連れて行き
石見銀山のお祭りのお手伝いをさせてもらいました。
(そのメンバーの中に、実はウチの奥様も入ってたりします。笑)

たった2〜3週間で、ヨソから来たワカモンたちが
知らない町の伝統ある「おまつり」を創る側にまわる。
…かなり難しい事を企画したもんだ、と今でも思います。

僕が後輩たちに出した課題はひとつだけ。
「何が自分達にできることなのか、町の人と直接お話をして探しておいで。」

学生だから出来ない事だらけ。
でも学生だから出来る事もある。
その気づきは、人に教えてもらうんじゃなく、
はじめましての人たちのコミュニティに自ら飛び込み、対話して、
その人が何を必要としているかと向き合って、
自分自身のスキルを必死で検索して、
その人のニーズに合った「自分に出来る事」を探すことに
意味があると思ったんです。

お祭りが大成功して、町の住民の皆さんにも喜んでもらえて
参加してくれた後輩たちも「楽しかった」と思ってくれた事は、
実は『副産物』でしかないんです。

夏休みの間の2〜3週間、ワケのワカラン事を言ってる先輩を信じて
「よし、その島根の石見銀山というところに行ってみよう!」
と、手を挙げた時点で、その子は、手を挙げなかった子よりは、
何か得られるチャンスを自ら掴めているんです。

「人の嫌がる事は、率先して手を挙げてやりなさい」
そんなわかりやすい言葉だったかは覚えていませんが
親が僕に教えてくれた事です。
チャンスは待っていてもやってこない。
ただ待っているよりは、チャンスに巡り会う可能性は高いハズ。

あまりしゃべってくれなかったおばあちゃんが
「ごくろうさん、ありがとうね」
と、おまつりの後片付けを手伝うワカモンに声をかけてくれる。
そのおばあちゃんにも、ほんのちょびっとかもしれないけど
小さな“変化”があったんだとしたら
それはきっと次の何かにつながるんだと思うんです。

コミュニケーションデザインとは
当事者に自主性を促す事が大切だと考えます。

それは、広告代理店やPR会社がお金とマンパワーを使って
あの手この手で話題づくりをする事ではなく
(もちろんそれも手段のひとつですが)
ヨソから来た人間が、当事者意識を持つくらい同じ目線に立って
誰でも出来るような手段を一緒に考えてみる事だと思うんです。
そうすれば、成功した時、当事者はもちろん、
お手伝いさせてもらった自分まで、一緒になって感動できる。

見返りを求めず、必死で脳を動かし、身体を動かした結果、人の心を動かせる。

大学の研究過程を終えた後、東京に出て来た僕が
イベントの世界に飛び込むキッカケになった
『鄙の夏』というイベントの、昔話でした。
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by wamhouse | 2013-01-31 23:31 | 想 : column

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