「ほっ」と。キャンペーン

1年前の今日、僕は16時から目黒で打ち合わせの約束があり
奥様は生後5ヶ月の子供の予防注射を受けさせに行く予定だったので
愛犬に留守番を頼んで、僕らは15時に家を出るつもりだった。

出かける用意をしてる最中、グラッと大きな揺れを感じ
大急ぎでリビングに。
そこにはまだ昼寝から起きていない赤ちゃんと
動物の本能からか、すでにパニックを起こして
悲鳴のような泣き声で吠えまくる愛犬がいたから。

すぐおさまるだろうと軽く考えていたその揺れは
やがてどんどん大きくなり、家中の物が壊れ始め
あっと言う間に立ってられない程の大きな揺れと
自分たちの叫び声も聴こえないくらいの轟音にかわった。

ずっとずっと終わらない大きな揺れ。
正直、もうこの世の終わりだと思った。

目の前ではテレビが倒れて大破し
隣の部屋や階下のスタジオからは、物が倒れ壊れる音が響き
キッチンでは食器棚から食器が全部飛び出し、落ちて割れ

「大丈夫!大丈夫やぞ!こんな事で死ぬわけない!」と
奥様に言っているのか、自分に言い聞かせていたのか、
とにかく家族を守らなければ、という気持ちでいっぱいだった。

余震が続く中、避難するために貴重品と最低限の荷物をまとめ始める。
床に散乱したガラスを避けてバタバタと用意する中、家の電話が鳴る。
出る余裕があるわけもなく、やがて留守電に切り替わり
電話機のスピーカーから、母親の声が響く。
「大丈夫か?大丈夫か?もしもし?大丈夫か?」
繰り返す、悲痛な母親の叫び。
…ごめん、おかん。電話出るヒマない。とにかく外へ逃げるわ。

家の前にあるジャスコから避難してきたお客さん
自宅のあったマンション群から避難してきた住民
帰宅を急ぐために猛スピードで信号無視する車
…外は大混雑し、そして混乱していた。

まだ工事中のマンションの足場が余震でグラグラ揺れて軋む。
「そこいたら危ないよ!離れて離れて!!」
自分達も避難しながら、目につく人にも声をかける。
とにかく、近所の広域避難場所に指定されていた
学校のグラウンドを目指す事にする。

埋め立て地である東雲、予想通りに液状化現象が目の前で始まる。
道のスキマから、勢いよく噴水のように溢れ出す泥水。
みるみるうちに、あたり一面が濁った池のようになる。
阪神淡路大震災で目の当たりにした光景が蘇り
「ああ、このあたりは沈んでしまうのか」と恐怖をおぼえる。

避難先のグラウンドの地面にも、みるみるうちにヒビが入る。
校庭に避難していた生徒、引率の先生、近隣の住民。
目の前で振り子のように揺れる信号機。
建物の反響で何を言っているのかわからない緊急放送。
いつまで続くかわからない揺れに、みんな混乱し怯えていた。

その頃、ケータイのテレビから
震源地が東北地方である事
大きな津波が発生し始めた事
予想よりも被害が大きい事を知る。

このまま家に帰れなくなりそうだったので
寒い夜をしのぐ為、奥様、子供、犬をその学校に残して
僕ひとり車を取りに一旦家に戻る事にした。

まだまだ続く余震の中、あらためて帰ってきた家の中は
見るも無惨な光景になっていた。
何もかもが散乱し、ガラスの破片でいっぱいの床。
タンクが壊れ、水浸しのトイレ。
モニターや機材が全て倒れたスタジオ。

泣きながら数枚写真を撮って、
車のカギと、
持てるだけの水と着替えとおむつ、犬のゴハンと毛布を持って
車庫から車を出した。

家族を乗せ、途中のコンビニで食料を買い、
行き先も定まらないまま、津波が恐いので
東雲から内陸にあたる銀座方面へと車を走らせてみる。

新豊洲から晴海通りに入ったとたん(当たり前だが)道は大渋滞。
そこでようやく、関東平野である東京に
高台と言えるような逃げ場がない事に気づいて
半ばあきらめて、豊洲に戻る。

トイレのある公園のそばに路駐して、
車の中でずっとテレビを観ていた。
ニュースは刻々と悪くなる状況を伝える。
やがてあたりは暗くなり、寒い寒い夜を迎える。

電話のつながらない中、ツイッターで大阪にいる弟と連絡が取れる。
「おとんとおかんに、家族全員無事って伝えて」
「わかった。関西は大丈夫。困った事あったら言って」
「きっと水とおむつが不足する事になるから、お願いしていい?」
「わかった、まかしといて」
そんなやりとりに少し元気をもらう。

たまたますぐ近くのスタジオでリハーサルをしていた
コレオグラファー:なっちゃん先生がツイッターで
「こっち(スタジオ)に避難しにおいでよ」
と声をかけてくれる。
でもウチには犬がいるので、丁重にお断りした。
(とてもうれしかったよ、ありがとう、なっちゃん。)

夜になって奇跡的に電話がつながり
ようやく実家と連絡が取れる。
直接無事を伝えられてよかった。

電車も止まった中、青山から川口まで帰るという友達。
「大丈夫?今どのへん?」
「今半分くらいかな?」
「気をつけてね!ムリすんなよ!」
「ありがとう!家族心配やから意地でも帰る!」
「無事を祈る!」
そうやって、みんなツイッターで安否の確認をしたり
お互いを励まし合ったりしていた。

知り合いとか、他人とか、あんまり関係なかった。

「XX通り沿いのファミリーマートXX店のトイレ使えます」
「徒歩で帰宅される方、女性は特に気をつけてください」
「XX小学校の屋上に人が取り残されているらしい、誰か助けてあげて」
「XX消防署に連絡しました!負けるな!がんばれ!」
「安否確認サイト作りました!みんな使ってください!」

みるみるうちに広がるネットワーク。
もちろんみんな初めての経験だから、混乱はしていたけど
何かしよう、何かしなくちゃいけない、
恐いのは自分だけじゃない、みんなでがんばろう、
そんなみんなの想いが
たった140文字しか書けないハズのツイッターから
いっぱいいっぱいあふれていて

そんなツイッターのTLと
安否確認の名前を流しつづけるテレビを
夜が空けるまで泣きながら観ていた。
長い長い夜だった。


…あれから今日で1年。

あの日を境に、日本も、世界も、僕も、全部変わってしまいました。
たくさんの人が亡くなりました。
たくさんの家が流されてしまいました。
思い出も、生活も、家族も、友達も、全部なくした人だっている。

ダメな方向に変わった事がほとんどだけど
ほんの少しだけ
みんながみんなを意識して、協力して、
家族や友人やとなりの人を大事に思えたり
この国の行く末を考えたりするようになったのは
良い方向に変われ出したのかな、とも思います。

もしも地震発生があと30分遅かったら
僕ら家族はバラバラで、室内が全壊した家には犬しかいなくて…
想像するだけでゾッとします。
我が家はみんな元気。それだけでとてもとても幸せ。

阪神淡路大震災の光景がフラッシュバックして
パニックになりかけた僕を助けてくれたのは
まだ何もわからず、ニコニコ笑っていた息子でした。

この子を守らなきゃいけない。
この家族を僕が守らなきゃいけない。
あの日から強くなったこの気持ちは
今もずっと変わらないままです。

もう地震なんて起こらなければいいのになあ。
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by wamhouse | 2012-03-11 03:50 | 想 : column